2年もかけて、何を話し合ってた、そこな4人。

 

松文館事件の上告審について、2007年6月14日付で上告棄却の決定がありました。
具体的な理由の説明なく、ただ、従前の最高裁判例に追随するだけの残念なものでした。
この決定により、控訴審の罰金150万円の判決が確定することになります。

関与した裁判官は、
最高裁判所第一小法廷
才口 千晴
横尾 和子
甲斐中辰夫
泉  徳治
の4名です。全員一致の決定でした。

上告から2年が過ぎ、これはひょっとすると、と期待していただけに非常に残念な内容でした。
ライフワークの筈を30そこそこで達成してはいかん、ということなのでしょうか?

表現の自由は、歴史的にも権力との戦いの中で市民が手にした基本的人権です。今回の戦いの結果は敗北でした。これは受け止めなくてはならないと思います。しかしながら、敗北を受け止めることと戦いを終えることは違います。松文館弁護団の戦いの記録は、傍聴人の方により公開されています。これから戦う方々は、是非とも、記録を読み、批判し、また、参考にして頂きたいと思います。

 ちょうど2年前、6/16に控訴審の判決が出てから、ずっと気にしていた最高裁の判断が、最悪の方向で示されてしまった。



 控訴審で裁判所が譲歩を示したのは、以下の箇所のみ。

しかしながら、わいせつ図画頒布罪の量刑判断に当たっては、頒布の規模や態様のほか、頒布された図画のわいせつ性の程度も、基本的な量刑要素として考慮されるべきである。所論指摘のとおり、本件漫画本は男女の性交や性戯場面等を露骨に描写しているといっても、そのわいせつ性の程度を、同様の情景を実際に撮影した写真やこれを録画したビデオテープ、DVD等の実写表現物の有するわいせつ性の程度と比べると、両者の間には相当の開きがあり、本件漫画本が漫画本であるが故のわいせつ性の特殊性も考慮しなければならない。


 エロマンガは「写真やこれを録画したビデオテープ、DVD等の実写」よりも「相当の開き」があるほどエロくない、というトンデモ理論のみが、この裁判で勝ち取れた明確な成果で終わっていいのか?(いや、よくない) 絵は実写のエロスは異なるのだから、児ポ法で絵を対象にする意味は無いという主張の裏付けに使いますか?(いや、使えない)



確かに、同じように性器や性交場面を表現する場合、写真のような実写表現物による表現と漫画による表現を比べると、一般的には、実写表現物の方が性的刺激の度合いの強いことが多い。しかし、ここで問題となるのは、実写表現物による表現と漫画による表現との間の相対比較ではなく、要するに、本件漫画本について、前記大法廷判決の示したわいせつの定義に従い、前記四行半襖の下張事件判決の判断基準・方法によって判断した場合、それが刑法175条にいうわいせつ図画に該当するかどうかである。
原判決(争点に対する判断)第2の2の(1)のイの(ア)及び(イ)において説示するとおり、本件漫画本においては、性交、性戯場面が露骨で詳細かつ具体的に描かれており、性描写が閉める割合をみても、本件漫画本の大半が性器ないし性交、性戯場面の描写に費やされていることが明らかである。もっとも、原判決も指摘するとおり、漫画を構成する絵は、実写表現物とは異なり、手書きの線や点などで描かれるため、現実世界の事物が絵の中では程度の差こそあれデフォルメされることになり、描き方によっては、性的刺激を緩和することが可能である。しかし、本件漫画本の原作である諏訪優二の検察官に対する供述(甲45)や原審公判における証言によれば、同人は、株式会社松文館の編集局長高田浩一から「エッチなもの」を描くように言われ、性的な刺激を求める読者の要望に応えるため、陰茎や陰部をできるだけ細かく、リアルに描いたというのであり、その結果、本件漫画本においては、性器部分が人体の他の部分に比して誇張され、かつ、細かい線画によって綿密に描かれることによって、性器の形態や結合・接触状態の描写がはなはだ生々しいものとなり、読者の情緒や官能に訴え、想像力をかきたてるとなっている。
次に、本件漫画本が、その作品性、思想性、芸術性により、その性的な刺激の度合いが緩和されているかどうかについては、原判決が(争点に対する判断)第2の2の(1)のウにおいて適切に説示するように、本件漫画本の構成や物語の内容・展開等からすれば、平均的読者が本件漫画本から一定の思想や意識を読み取ることは著しく困難であり、本件漫画本には芸術的・思想的価値のある意思の表明という要素はほとんど存しないから、本件漫画本がその作品性、思想性、芸術性により性的刺激の度合いが緩和されているとは認められない。
なお、所論は、原判決は作者の思想を「マンガ表現」という手段から区別された独立した実体であると把握しているが、作者の思想は「マンガ表現」に先立って存在するものではなく、「マンガ表現」に内在するものであるなどと主張する。当裁判所も、芸術作品のわいせつ性を評価する場合、その作品の性的刺激の度合いを緩和する要素として、その作品における表現方法、表現手段、から一応切り離して認識することのできる作者の思想等のほかに、表現方法、表現手段自体の思想性、芸術性があり得ることを否定するものではないが、本件漫画本には、後者のような意味でもわいせつ性評価の要素とすべき思想性、芸術性があるとはいえないのである。


 結局、本にして頒布したことが犯罪にあたるほどの猥褻物である、とは判断されるのだから。




 この確定判決、逆に利用してやるくらいのポジショニングを探さないとやりきれない。