アフタヌーン 7月号

 今月号は2006春コンテストの別冊付録つき。前回の冬コンから四季賞受賞作の掲載が本誌でなくB6サイズの別冊になった。本誌の半分の大きさになるが保存性が高くなるので、こちらの方がよろしい。ここ数年、大賞以外の作品が掲載されることがめっきり減っており、せっかく何かの賞をとって日の目を見ることがないのはもったいないし、自分が純粋に大賞以外の作品も読みたいし。編集部的にも年4号分、ストラップやらフィギュアやらの企画や予算に頭を悩ます必要がなくなって一石二鳥か?
 しかし、昔から別冊にしといてくれれば、あの作品もこの作品も、今わざわざバックナンバーを探すのに苦労しないで済むのに。例のアホみたいに凝るだけ凝って評判がさんざんだったクロニクル(http://shop.kodansha.jp/bc/yoyaku/comics/cronicle/)は、期待していた作品をまったく収録してなかった。立派にプロとして活躍してる作家の作品ばかり収録しやがって、ホントいまさらであった。




四季大賞「メトロポリタンミュージアム」(兼子義行)

 あなたにとって終わりの見えた世界で誰に何を伝えて消えていきますか、というお話。

 学校の女子トイレで「都市の中の博物館 人混みに消える人々 ……」という謎めいた詩=便所の落書きを見つけた少女は、存在はしたまま、周囲の意識から次第に自分が消えはじめていることを知る。それとも消えていくことを望んだからこそ詩を見つけられたのか。
 いつも会いに通っていた美術部の少年を、別れを告げる最後の人に選び、学校の屋上で別れを告げるシーン。少女が放り投げた傘に目をやった瞬間、もうその後、少年の意識は少女を認識できなくなり、出入り口すぐ横の少女に気がつかないまま階段を駆け下りて、少女を探しに走る。ここは素直にうまいな、と。
 少女は、自分が消えていくことを悔しく思っているのか、それとも自ら望んだことなのか、最後まではっきりしない。けれど、少年との別れを悲しく思って、でも、後戻りするつもりはなくて、もう決意をしたことなのだ、と伝わってくる。
 誰もが忘れられ埋もれていき、でも覚えていてほしい。そのことを、消えていく人間に淡々と、残され忘れていかざるえない人間に切なく、描く。
 審査員のうえやまとちの選評にあるよう、もってまわった表現がもたもたした感じも与える。定期入れを落とした友人に声をかけようとして気づかれなかったり、警官の前でタバコを吸って気づかれなかったり、消えていく少女という描写を何度もくどく挿入してくるので。そうでないと十分伝わらないという心配があったのかもしれないが、ばっさり切って話の流れを速めたほうが良かったかもしれない。


四季賞「CURE」(前邑恭之介)

 トラック事故で左足腿の肉をごっそり削り取られた少年の入院生活の日々。クラスメイト達の手紙にも気持ちが落ち込むだけ。「健康な肉体が」「ねたましい」。
 個人的なものだが、四季賞らしい作品。また、うえやまの選評を引用すると、伝えたいものがはっきりしているという意味で。作者の実体験ではないかと想像させる。
 肉が削げ落ち、破壊されたアンドロイドの配線むき出しの骨組みのようになった左足。仮に自分の肉体にそれが起こってしまったとき、どのような葛藤と苦しみが待ち受けるか、没入感覚にかなり訴えるものアリ。
 注文をつけるなら、おっぱいムニで「クララが立った!」は、ちょっと余韻が軽くなったか。


うえやまとち特別賞「食らう怪物」(兵庫しんじ)

 父親を食べてしまった「怪物」を背負っていると信じるボクサーは、元同級生との恋も順調に、世界戦への足がかりを掴みかけるが……。
 「怪物」のディティールがいまいち具体性に欠け、ようは気持ちのもちよう、という安易な解釈で済ませてしまえそうなのが惜しい。


 あと、ぱっと見で、カラスヤサトシがストーリーマンガに転向したのかと思ったのはちょっと内緒だ。