ラノ漫ロングインタビューを読んで。


実利と反骨と偽悪が入り交じった、「カムイ伝」の夢屋七兵衛のような人。今の自身の実力によって、いかに効率よく儲けるか、という方法論を突き詰めていった過程が述べられている。毀誉褒貶を臆さない物言いは、結果さえともなえばそれを頼もしく感じる経営者が少なくないと読んでいるのだろうか。上昇志向は結構だし、サラリーマンだからという理屈で会社が不当に編集者を抑圧しているが成果を出した分はちゃんと報われるべきという言い分も、自然な欲求であって全くおかしくない。
自分にとって“使える”“使えそう”な人間でなければ“要らない”と言っているに等しいように聞こえてしょうがないことも、承知の上なのだろうか。雑誌および雑誌の読者については“ほとんど使えない”という評価のようだ。
メディアミックス頼りな姿勢は、ひっかかるところがある。他人のふんどしという感覚がどうしても拭いきれない。会社としては、売上を出してくれるなら同じことでしょう?、という説明は確かにそうかもしれないが、他の編集者や作家に対しての説明にはなっても、インタビューを読む多くの読者に対しての説明にはなっていないように思う。
彼の頭の中に読者という概念はあるのだろうか。都合よく、購買者に置き換わってないだろうか。「ファンなんだったら納得しなくていいから、文句は言ってやるな。君が文句を言っても線が細い作家は心が折れるだけでフェイドアウトするだけだから。出来が悪かったら無視してやれ、本当に好きなら。」という物言いや「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線というエントリからは、“ポジティブな感想だけ流してくれればいい”という意向が透けて見える。そんな都合のいい読者は多くはない。部数に貢献してくれる物言わぬ購買者ばかりではない。
「メディアミックスは非常に面白い。なんせ原作があって、原作ファンってのが見えていて、彼らがどういう特性を持っているかって分かってる。そこに向けて何を打ち込むとどんな反応が返ってくるってのが、かなり読みやすいんですよ。なので、私は実はこの仕事すっごい好きで、面白いんです。」という。「反応」とはどんな「反応」だろう。実売部数のことだろうか。「反応」が「かなり読みやすい」という原作ファンは、あたかも露天掘りの金脈のようなものだろうか。
購買者はこんなインタビューを気合を入れて読まないだろうし、反感を持つような一部の読者も、最終的には読者としての良識に則って作品の良し悪しで評価をするということを、よく分かっている人だと思う。だから、こんなインタビューに応じられる。ここ1年で、「倫敦キャットピープルズ」や「唐傘の才媛」などのメディアミックスではない作品を手掛け始めている。編集者としての手腕が測られるのは、それらの作品においてだろう。でも、雑誌の反応は当てにしていないようだから、最新号の電撃黒マ)王で読んだ「唐傘の才媛」の感想は書かない。第1巻が発売されたら、また触れるつもりだ。