いのちの食べかた(監督:ニコラウス・ゲイハルター)
渋谷シアター・イメージフォーラムで11:10の回。終了は12:45。見たのは6/8。
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食料において品質管理と大量生産を同時に達成しようとすると、どうなるか。
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ラスト。
牛の屠畜場。
棒状の携帯型スタンガン。
「ノー・カントリー」。
舌をダラリと垂らした巨体を、ベルトコンベアが運んでいく。
2頭目は、首を上下左右に激しく動かすため、うまく額の位置に棒をあてられない。
やっと打ち抜く。
痙攣し、やはり舌をだらんと垂れて、脱力する。
金属製の円筒形の横から、ゴトンと転がり出る。
肉隗を解体。
生分解性と思われる泡状の消毒液を機械、床、壁に撒き散らす。
生臭い血と肉の痕跡は跡形もない。
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豚が死んでいく様は、機械の中で行われるため、見えない。
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まだ息のある逆さづりのブロイラーの首を、白服で騒音用ヘッドホンをした作業員が、手元のナイフで淡々と切っていく。無駄のない動作。
卵の殻といっしょに画面奥へ流れていく数匹のヒヨコ。殻と一緒にダストシュートへ。
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白人、黒人、アラブ系。
畑でレタスをつむ作業。夜中近い時間に、煌々とライトで照らされた大型機械のテントの下で、急かされレタスをつむ白人。
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大型のコンバインが麦わらを柵の中の牛に直接ぶっかけていく。
コンバインで掘り起こされる芋。
扱いは等しい。
等しく食料。
牛は、芋よりもぞんざいに扱われているだろうか?
家畜を野菜のように扱うことは、いけないことだろうか?
目的は同じなのに?
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矢ガモ、と、スタンガンで屠畜される牛。
どちらが「可哀想」?
される対象?
する主体?
捕鯨は?
イルカの追い込み漁は?
資源保護は関わらないから?
養殖なら?
キャッチ&リリース。
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死んだ鳥を拾う。
厩舎は清潔でなくてはならない。
品質管理の手間を惜しんではならない。
命の取捨選択は、大げさなものではない。大上段に振りかぶって行われるものではない。
命の重さを感じながら食事をしない。徹底した品質管理のもとでこそ、優れた工業製品を味わえる。
コストをかけた分だけ、その命は、重さを増すか?
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作業員たち。
これはブルーカラーの問題か?
豚の足をハサミでぱちりぱちりと切り落とす。
バスで連れてこられたアスパラガス畑で、チリトリのお化けのようなものを渡され、ひたすら掘り起こす。
広大な畑を双眼鏡で監視する。
一日が終われば、その日の収穫を一人ずつ報告する。
得られる日銭。
ブルーカラーは地元民だろうか、移民だろうか。
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牛肉偽装事件も、狂牛病も、伝えないこと。
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原題は「OUR DAILY BREAD」。
「主よ、私たちの罪をお許しください」。
神への感謝、神への許し。
目の前の変わりはてた姿のモノを与えてくれた神。
神が許せば、許される。
牛や豚や鶏やアスパラガスに請う許しではない。
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スタンガンで打ち抜く額より、横腹を裂いて引きずり出される赤子のほうが、よほど残酷だ。
命を絶つ、より、命を生む、ほうが。
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ブルーカラーの悲哀という憤りによって、残酷という感情を、封じ込めようとしているのだろうか?
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大規模農業事業者に感謝の祈りを。
有機栽培農家にエゴイストの烙印を。
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この作品では出来るだけ客観的な視線で物事を捉えたかったのです。僕が特に興味を持つのは、「なんでもかんでも機械で出来る」という感覚や、そういった機械を発明しようという精神、それを後押しする組織です。それは、とても怖い感覚で、無神経でもあると思います。そこでは、植物や動物も製品同様に扱われ、産業として機能させていくことが、非常に重要になっています。一番重要なことは、いかに効率よく、低コストで、動物が生み育てられ、数を保たれているかであり、新鮮で傷が付いていない状態で食肉処理場に届けられるための取り扱い方や、肉に含まれる薬品の使用量、ストレスホルモンの量が合法基準値より低いレベルに保たれているか、ということなのです。誰も自分が幸せかどうかなんて考えてはいません。それをスキャンダラスと言うなら、もう少し深く考えてみるべきで、僕たちの暮らし方もスキャンダラスということになります。この経済的に豊かで、情け容赦ない効率化は、僕たちの社会とも密接に関わっています。「有機栽培の製品を買い、もっとお肉の量を控えなさい!」というのは間違いではありません。でも、同時にそれは矛盾していると思います。誰もが皆、機械化に頼って国際化した産業の恩恵を受けています。そして、これは食べ物の世界に限ったことではありません。
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/main/main09.htm