「模倣の殺意」(中町信)創元推理文庫

 文庫表紙に書かれた鮎川哲也氏の推薦文に興味をひかれ、なんとなく買った一冊。なんというか、端々の煽り方が非常にやってくれるという感じ。
 抜粋すると、

「(中略)やがて、どうみても中町氏の書き誤りではないかと考えざるを得ない結論に到達するのだが、ラストでそれが作者の仕掛けたワナだったことを知らされる。その驚きは圧巻だ。(中略)ある意味で、私はクリスティの初期のある傑作を思い浮かべ、読み終えてしばし呆然としたのである。」

 鮎川氏のネームバリューは、最近はそれほど推理ものに傾倒しているわけでもなく、それ以前に鮎川氏の著作を(多分)まだ1冊も読んだことのない自分にとって、そう大きいものではないから、純粋にその推薦文のうまさに〝そそられて〟購入させられたと言っていい。で、読み終えて、それだけの期待に応えるものがあったのかと言えば、半分はそうだし、半分は違ったと言える。

 違ったほうから書き出すと、時代背景の描写が今となっては非常に〝古臭い〟。雰囲気にのめり込みにくい。
 帯の背にあった「改稿決定版!」の文字に、結構古い作品ではありそうだなぁ、とは思っていたのだが、登場人物である、元推理作家のフリーライターは手書き(!)の原稿を丸めてるし、出版社に勤める女性編集者は校正のゲラを郵送で送るし起床した時ネグリジェを着てるし、自動巻上げのカメラが最新式だわ、300万円が大金だわ、かといって年代を特定できる事象(例えば『〜一昨年の大阪万博では〜』みたいに具体的な)がほとんど出てこないので、その時代背景を楽しむというよりは、「携帯電話を使えない作者が現代を舞台に無理やり固定電話止まりの時代設定で書いてみました」というような印象が先にたってしまう。あとで確かめると、73年の作品だったので、致し方ないか、とも思うけれど、それにしてもやはり古臭い。
 それに筋立てや登場人物の描写も、また古臭い。女性編集者の「秋子は、坂井に体を許したことがあったのだ。」って、やってる部屋の窓際で牡丹の花びらが落ちてそうだ。恥じ入ったときの表現を「頬を赤らめた」なんて、今時書く作家がどれほどいるか? 推理、複線に関係ない描写がとことん削られている、というよりもそこまで手がまわらなったが、そこまで書くことに興味がなかったんだろうと思わせるくらい。

 しかし、こっちの読み手側に仕掛けられるルトラップ、これは初めて味わった種類のものだった。フリーライターと女性編集者の二人の登場人物の推理が結論に近づいていく過程が、最終章で、あのような形でリンク〝せずに〟まとめあげるとは。
 ただし、推薦文にあったように、どうもクリスティの時期からあるような古典的ないわゆる叙述トリックらしいので、推理ものに詳しい人なら、この30年前の作品が出た後に多くの作品で多用されているらしいこの叙述トリックを、「もう知ってるよ」というケースもあると思われる。
 けれど後書きなどによると、この叙述トリックを使った国内作品は、どうもこの「模倣の殺意」が初めてらしく、それを30年経ってこの本で初めて味わった自分は、幸運だったのかもしれないと思う。
(あんまり感想文になってないですな……)
 

模倣の殺意 (創元推理文庫)

模倣の殺意 (創元推理文庫)