ゲド戦記(監督:宮崎吾朗)


映画の日、新宿アカデミーで20:25の回。もののけ姫を観て以来、映画館で観るジブリ映画。9年ぶり。原作は未読。




背景が、まるで舞台演劇のセットのように、奥行きをもたない。この点が、観賞しながら、なんとももどかしく、座席でもぞもぞしてしまった。


古代イングランドアイルランドに原風景を求められそうな、低くけれどえんえんと続く石積みや、木が生えていないなだらかの丘の連なりでできた草原。白く、ときに錆色、ときに夜に沈み込まない藍色をした雲が、ゆっくりと流れていく。ゲドたちが旅の途中に立ち寄る藁葺き屋根の家のある丘は、裏の放牧場から見下ろす大地にてんてんと湖沼が広がる。


描き方によっては、とても魅力的な遠景の要素がふんだんに盛り込まれているはずなのに、感覚をスクリーン表面から奥に侵入していこうとしても、すぐそこで終わってしまっている、そんな途絶感がつきまとった。


そこから、延長される印象は、箱庭の中をえんえんと歩き続けるゲドたち。ピンチとなったゲドたちに代わって、障害となる魔女を打ち滅ぼすアレンたちの大きいはずの一歩を、素直に祝福できない。アレンを載せてゆうゆうと飛ぶ、白銀の鱗をもつ竜は、結局どこにも飛んでいけず、箱庭の外周に沿ってループし続けるだけなのではないのか。


過去のジブリ作品を思い出してももっともシンプルだと思える物語を与えられた背景という大地は、痩せぎすだった。原風景そのままに荒涼として、耕されてはいなかった。ゲドたちが訪れ、火傷の跡をもつ少女と初めて出会った、極彩色な石造りの異国風の街並みは、まるで実験室に積まれたシャーレにわいた黴のようだった。


素朴と言ってしまうには、あまりに。


朝日がのぼる、あの山や水平線の向こうには、何もないようにしか思えない。真っ暗な部屋で、ぐるりと周囲に張られた最上質の絹の暗幕を、必死にかきむしるけれど、はっきりした手応えのないまま、気落ちする。



参考:公式サイト